大判例

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最高裁判所大法廷 昭和38年(オ)422号 判決

判   決

東京都目黒区上目黒三丁目一七三五番地

上告人真吾こと

越山康

右訴訟代理人弁護士

渡辺明

山本草平

荻原静夫

本林徹

東京都千代田区丸ノ内三丁目一番地

被上告人東京都選挙管理委員会委員長

染野愛

右訴訟代理人弁護士

鎌田久仁夫

右指定代理人

岡田三郎

遠藤浩史

福島立次

右当事者間の選挙無効請求事件について、東京高等裁判所が昭和三八年一月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨上告の申立があり、被上告人は上告棄却の判決を求めた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由について。

憲法四三条二項は「両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。」とし、同四七条は「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。」と規定する。すなわち、憲法が両議院の議員の定数、選挙区その他選挙に関する事項については特に自ら何ら規定せず、法律で定める旨規定した所以のものは、選挙に関する事項の決定は原則として立法府である国会の裁量的権限に委せているものと解せられる。従つて、国会は法律を以つて、参議院の選挙区を全国区と地方区とに区別すること、また、これらの区別を廃止することも、更には地方区の議員を各選挙区に如何なる割合で配分するかということ等を適当に決定する権限を有する。そして、憲法一四条、四四条その他の条項においても、議員定数を選挙区別の選挙人の人口数に比例して配分すべきことを積極的に命じている規定は存在しない。

もとより議員数を選挙人の人口数に比例して、各選挙区に配分することは、法の下に平等の憲法の原則からいつて望ましいところであるが、議員数を選挙区に配分する要素の主要なものは、選挙人の人口比率であることは否定できないところであるとしても、他の幾多の要素を加えることを禁ずるものではない。例えば、憲法四六条の参議院議員の三年ごとの半数改選の制度からいつても、各選挙区の議員数を人口数に拘らず現行の最低二人を更に低減することは困難であるし、その他選挙区の大小、歴史的沿革、行政区画別議員数の振合等の諸要素も考慮に値することであつて、これを考慮に入れて議員数の配分を決定することも不合理とはいえない。前述の如く議員定数、選挙区および各選挙区に対する議員数の配分の決定に関して立法府である国会が裁量的権限を有する以上、選挙区の議員数について、選挙人の選挙権の享有に極端な不平等を生じさせるような場合は格別、各選挙区に如何なる割合で議員数を配分するかは、立法府である国会の権限に属する立法政策の問題であつて、議員数の配分が選挙人の人口に比例していないという一事だけで、憲法一四条一項に反し無効であると断ずることはできない。そして、現行の公職選挙法別表二が選挙人の人口数に比例して改訂されないため、不均衡が生ずるに至つたとしても、所論のような程度ではなお立法政策の当否の問題に止り、違憲問題を生ずるとは認められない。従つて、論旨は採るを得ない。

よつて民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官斎藤朔郎の意見があるほか、裁判官全員一致の意見により主文のとおり判決する。

裁判官斎藤朔郎の意見は、次のとおりである。

多数意見が、各選挙区に如何なる割合で議員数を配分するかは、立法府である国会の権限に属する立法政策の問題であるとしている点は、私にも異論がないところである。しかし、多数意見が、現行の公職選挙法別表二が選挙人の人口数に比例して改訂されないため不均衡が所論のような程度ではなお立法政策の当否の問題に止るとして、例外の場合すなわち、選挙区の議員数について選挙人の選挙権の享有に極端な不平等を生じさせるような場合には違憲問題が生じ、したがつて右別表の無効を認める場合のあることを示唆している点に、私は危惧を感じる。

いわゆる砂川事件の大法廷判決(昭和三四年(あ)第七一〇号同年一二月一六日、刑集一三巻一三号三二二五頁)が「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて」といつているのも同様な考え方であると思うが、ある事項を原則的には裁判所の司法審査の対象から除外しながら、例外的にはその事項につき司法審査のおよぶ場合のあることを留保していることは、司法権の権威を守り、裁判官の職務に忠実ならんとする熱意の現われともいうべきものであつて、それは延いて国民の基本的人権の擁護に奉仕するものである。この心構えが、裁判官にとつて必要なことはいうまでもないが、実際問題として、そうすることによつて果して所期の如く司法権の権威を高め、国民の信頼をえることができるであろうか。私は、この点を再考してみる必要があると思うのである。アメリカ合衆国最高裁判所が一九六二年三月二六日にしたBaker V. Carr事件の判決についているフランクフルター判事の長文の少数意見を通読して、その感を一層深くした。(以下の記述のうちで、「 」をもつて表示してある部分は、同判事の意見またはその引用の先例中の文句を意訳したものである。)

「財力も武器も持たない裁判所の権威は、最終的には、国民の道義的な信頼によつて支えられているのである。そのような国民感情を培養するには、裁判所は、事実上も外観上も、政治的紛争から完全に離れること、政治的決定に際しての政治的勢力の衝突の渦中に身を投じないことが必要である。」司法審査の門戸を広げるだけでは、司法権の権威を必ずしも高めることはできない。司法審査の範囲を拡大するよりも、「司法権の効果的な実行に内在する本来的な限界」を守つていくことの方が、むしろ肝要であらねばならない(拙稿・法と国家権力、法哲学年報一九五五年一六頁参照)。

選挙区別の議員定数を決定する要素は、多数意見も説示しているように、選挙人の人口比率以外の幾多の要素をも包含している。そして、それらの諸要素を考慮に入れて判断するには、「司法的判断のための満足すべき基準」がないということに、留意しなければならない。フランクフルター判事は、「かかる問題の決定権を裁判所に与えることは、裁判官に神の力を与えようとすることである。」とまで極言している。「わが憲法の下では、すべての政治的な過誤や立法権の望ましからぬ行使に対し、常に司法的救済が与えられるものとは限らないということを、率直に認識しなければならない。」「民主社会においては、国民の代表者の良識を呼びさます国民の良識に、救済を求めるより外はないのである。」ということで満足すべき場合もあるのでないだろうか。

多数意見は、選挙区の議員数について選挙人の選挙権の享有に極端な不平等を生じさせるような場合、といつているが、具体的に如何なる事態を指すかは明瞭でない。おそらくは、将来においても、この場合に該当するとして選挙が無効とされるようなことは、容易に起るまいと思う。私は、世論の力、立法機関や行政機関の良識を、もつと信頼してよいのでないかと考える。明確な基準のない場合に、判決で違憲とすべき場合のあり得ることを約束してみても、それに当るものとして提起される訴訟は、基準に達しないものとしてすべて排斥されてしまうのではなかろうか。それでは、「将来を約束する言葉の響きを与えなから、期待をふみにじる」結果になり、かえつて国民の司法に対する信頼を裏切ることにならないかを、私は危惧する。

かりに、公職選挙法別表二が憲法の平等条項に違反することによつて、選挙が無効と認められた場合には、如何なる事態が発生するかを考えてみるに、「その究極の結果は、国民から現在の立法機関を奪つてしまい、しかもそれに代る新しい立法機関を選出する方法もなく、ついに国家の機構の破滅を招来」しかねない。参議院の半数改選議員の選挙が全部無効となるような事態が発生すれば、国会の機能は全く停止されてしまうであろう(国会法一〇条参照)。

そもそも、公職選挙法二〇四条の訴訟は、本来は、選挙の管理執行上の過誤を是正することを目的とする制度であると考える。さればこそ、右訴訟の結果による再選挙は、これを行うべき事由が生じた日から四〇日以内に、行わなければならないとされている(公職選挙法一〇九条四号、一一〇条二項、三四条一項参照)。本件別表二が違憲無効と認められた場合に、果して四〇日という短期間内に、別表の改正が行われることを、期待できるであろうか。それができなければ、無効の選挙をくり返えしていくより仕方がない。右二〇四条の規定を合理的な範囲内で拡張解釈することは差し支えないとしても、国会と裁判所との間において、裁量判断にくいちがいの生じるおそれの多分に存する問題についてまで、司法的解決を与えんとすることは、拾収すべからざる混乱を招来するものと思う。かように考えてくると、右二〇四条の訴訟で、本件事案におけるような請求を求めることの合法性に、私は強い疑問をいだく。

最高裁判所大法廷

裁判長裁判官 横 田 喜三郎

裁判官 入 江 俊 郎

裁判官 奥 野 健 一

裁判官 石 坂 修 一

裁判官 山 田 作之助

裁判官 五鬼上 堅 磐

裁判官 横 田 正 俊

裁判官 斎 藤 朔 郎

裁判官 草 鹿 浅之介

裁判官 長 部 謹 吾

裁判官 城 戸 芳 彦

裁判官 石 田 和 外

裁判官下飯坂潤夫は退官につき署名押印することができない。

裁判長裁判官 横 田 喜三郎

上告人上告理由(省略)

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